ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

No,8 Do you know this person(3)

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年3月13日更新
あの人知っていますか?
有名なポーランド人PART 3:映画界‐監督。

今日も有名なポーランド人を紹介し続けたいと思います。今回のPART 3は映画監督についてです!実はポーランドの映画史は長く、映画製作は世界でも最高峰と言われており、アンジェイ・ワイダ をはじめ、クシシュトフ・キェシロフスキやロマン・ポランスキーなどの優れた監督が国際的に名誉を得ています。
ポーランド語の映画はポーランドの歴史に強くつながるからか、一般には広く知られていませんが、最近はポーランドの映画に対する関心が高まっていると見られます。ポーランド人の映画監督の中から今日は6人を選んで紹介したいと思います。下記のリストはランキングではありません。

1. アンジェイ・ワイダ (Andrzej Wajda、1926‐2016)
世界に大きな影響を与えた映画監督で、ポーランドの激動の歴史をみつめ、人間の自由と勇気、尊厳のあり方を表現し戦後ポーランドにおいて優れた映画を製作しました。1954年の監督デビュー作『世代』を始め、1956年の『地下水道』、また1958年に上映された『灰とダイヤモンド』、1981年の権力と闘う労働者を描いた『鉄の男』や2008年の『カティンの森』などが世界中で高評価を得て、ベルリン映画祭やカンヌ映画祭など国際映画祭で様々な賞を受賞しました。彼の映画が4回アカデミーの外国語映画賞にノミネートされ、2000年アカデミー賞では名誉賞を受賞しました。ワイダに大きな影響を与えたのは有名な日本映画監督の黒澤明で、ワイダが黒澤を「私の先生」と呼び、長年仲良ししていました。実は、ワイダは黒澤の映画だけではなく、日本の文化に憧れていました。彼は1987年に思想・芸術部門の受賞の賞金の4500万円を建設基金にして、多額の寄付などをもとに1994年に日本美術技術センターをクラクフに設立しました。

2. クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieslowski、1941‐1996)
70年代より本格的に監督としてドキュメンタリーからキャリアをスタートし、当時のポーランド映画界における「モラルの不安の映画」の代表と知られています。1988年の『殺人に関する短いフィルム』はカンヌ国際映画祭で審査員賞などを受賞し、1989年から1990年にかけて、聖書の十戒をモチーフとした10編からなるテレビシリーズ『デカローグ』を製作してベネチア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞しました。彼が遺した最も有名な傑作は1991年のポーランドとフランスを舞台にした『ふたりのベロニカ』と1993-94年の間に発表された『トリコロール』の三部作でした。『トリコロール』はフランス国旗の三色をモチーフに、1作目の『トリコロール/青の愛』、2作目『トリコロール/白の愛』、3作目『トリコロール/赤の愛』、それぞれの色が象徴する「自由・平等・博愛」をテーマとした映画です。『トリコロール』もカンヌ国際映画祭などで受賞しました。しかし、1996年54歳の時に突然の心臓発作でこの世を去りました。

3. ロマン・ポランスキー (Roman Polanski、1933‐)
1933年にユダヤ系ポーランド人の家庭に生まれ、第二次世界大戦で彼の家族は、父親以外、ほとんど虐殺されました。少年の頃からアート、特に映画に興味を持ち、最初は俳優として活動をしましたが、自由な表現活動を求めてウッチ映画大学を卒業して監督になりました。1962年に高評価された『水の中のナイフ』で監督デビューし、その映画はポーランド代表作品初のアカデミー外国語映画賞のノミネートでした。その後フランスに移動し、『反撥』などを撮影しました。1968年に初のハリウッド作品『ローズマリーの赤ちゃん』製作して世界中に名前が知られることになりました。2002年に監督した、実在のピアニストであるシュピルマン氏の体験がもとになった作品『戦場のピアニスト』は大成功で、カンヌ映画祭最高のパルム・ドール賞を受賞して、アカデミー賞では7部門にノミネートされ、結局3部門で受賞しました。他の最も有名な映画は、1974年の『チャイナタウン』、1981年の『テス』、そして2010年の『ゴーストライター』などが挙げられます。ホロコーストの生存者であるポランスキーの人生は、悲劇と成功の両方によって特徴付けられ、それらの体験がポランスキーの作品に大きく影響を与えることとなりました。

4. アグニェシュカ・ホランド(Agnieszka Holland、1948‐)
1948年ワルシャワに生まれ、1971年にプラハ芸術アカデミーを卒業後、ポーランドに戻り映画業界に入りました。最初はクシシュトフ・ザヌーシの助監督になり、アンジェイ・ワイダから指導を受け、ワイダの作品の脚本も手がけていました。1978年の監督デビュー作品『田舎俳優』は「モラルの不安の映画」という運動を代表する作品の一つとして1980年のカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞しました。以後はフランス、ドイツ、アメリカ(ハリウッド)でもよく映画監督やテレビシリーズ監督として活躍し、1986年には、第二次世界大戦中、あるユダヤ人女性をナチスの迫害から匿うドイツ人農夫を描いた『Bittere Ernte』でアカデミー外国語映画賞にノミネートされました。また1990年の『ヨーロッパ ヨーロッパ』という次の戦争の映画がアカデミー脚本賞にノミネートされました。他の代表的な映画は1993年の『秘密の花園』や2012年の『ソハの地下水道』なでと挙げられます。彼女が自己実現を求めて困難な状況から逃れようとする人々の物語を作品にしてきたと言われます。

5. パヴェウ・パヴリコフスキ(Pawel Pawlikowski、1955‐)
パヴリコフスキ氏は80年代の共産主義のポーランドからイギリスへ移動して、初期はドキュメンタリー映画を製作していました。実際に彼は映画大学で勉強したことがなく、オックスフォード大学に進学し、文学と哲学を専攻しました。2004年の英国アカデミー賞を受賞した『マイ・サマー・オブ・ラブ』高い評価を獲得しましたが、2013年に制作した『イーダ』という白黒映画が彼の監督としてキャリアにとって大きな進歩になりました。修道院の少女を主人公とした『イーダ』は名誉あるアカデミー世界で最も重要な外国語映画賞を受賞し、最初のポーランド劇映画でした。次に2018年に制作した『COLD WAR あの歌、2つの心』も大成功して、すでにヨーロッパなど世界中の映画祭で多くの賞を受賞しました。『COLD WAR あの歌、2つの心』は1940年代後半から1960年代までの冷戦下のポーランドとフランスを舞台とした恋愛映画です。プライベートでは世界的に有名なマウゴジャタ・ベラというポーランド人のモデルさんと結婚しています。

6. ヤン・コマサ(Jan Komasa、1981‐)
ポーランドの新世代の映画監督の中で最も知られていて、監督だけではなく、脚本家とプロデューサーもします。彼の父は劇場俳優で、1994年にハリウッド映画監督スティーヴン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』に出ました。当時の少年のヤンは父が働いていた撮影班でスピルバーグ監督と会ったことがあり、その出会いをきっかけにヤンは映画監督になる希望を持っていたと言われています。映画デビューは2011年の『スーサイド・ルーム』でしたが、2014年のドキュメンタリー『ワルシャワ蜂起』映画を製作し、母国の映画祭で作品賞、監督賞、脚本賞など多くの受賞したほか、カンヌ映画祭、ベルリン映画祭やトロント国際映画祭で受賞し、高い評価を受けました。2019年ベネチア国際映画祭で上映された『コーパス・クリスティ』という映画は犯罪歴があるために司祭になれない20歳の青年が、小さな町で司祭になりすまし、かつて悲劇が起きたその町のコミュニティーに癒やしを与えていくポーランドの実話にヒントを得たドラマです。『コーパス・クリスティ』はアカデミーで外国語映画賞の部門のノミネートでした。最も新しい映画は2020年の3月に上映された『ヘイター:スーサイド・ルーム』です。

とりあえず、上記の6人映画監督の作品は絶対にお勧めします!よろしければ見てみてください!また数年前から毎秋東京でポーランド映画祭が行われていますので、是非機会があれば参加してください!

それでは、また!
ハンナ
有名なポーランド人の映画監督
お勧めの映画