雪月花人
春雨庵
春雨庵

古の記憶
上山の歴史文化遺産
上山市にはその歴史を語る様々な建築物が残され、歴史を大切にする市民の手で保存公開されています。街道の面影を伝え、故事の余韻を香らし、名もなき人たちの生活の跡を残す文化財は、過ぎし日の上山の姿を語りかけています。

上山ところどころ

春雨庵
 寛永六年(1629年)、紫衣事件によって幕府の怒りにふれ上山に配流になった京都大徳寺の僧沢庵のために、上山城主土岐頼行は春雨庵を建てて厚遇しました。沢庵は庵を好み、ここで詩作に読書に励みました。また、その間、詩歌や茶禅一味、剣禅一味など、その豊かな教養で、上山藩の教導に努めました。沢庵が三代将軍家光に許されて江戸に帰ったのは4年後の寛永9年(1632年)のことでした。
 現在の春雨庵は、東京品川の東海寺より天井と長押などの一部を譲り受け再建したもの。落ち着いたたたずまいで往時の面影を今に伝えています。また、茶室も設けられ、現在は茶道場として定期的に利用されています。昭和58年県の文化財に指定されました。

蟹仙洞
 かみのやま温泉駅から徒歩10分ほどのところにある私設博物館で、当地で製糸業を営んでいた故長谷川兼三氏のコレクションを展示しています。館内には中国の漆工芸品や日本の美術刀剣類が数多く収められています。特に中国明・清時代の”堆朱”や”堆黒”は有名で、全国でも屈指のコレクションと言われています。美術刀剣類では備前国長船の兼光、長義など重要文化財も含め約2000点が展示されています。敷地内には見事な庭園も整備されています。
春雨庵
春雨庵



足跡 従来の旅人は歩を休め佇んだ 楢下宿めがね橋
楢下宿めがね橋
博物館蟹仙洞 栗川稲荷神社
博物館蟹仙洞 栗川稲荷神社
旧尾形家住宅 武家屋敷
旧尾形家住宅 武家屋敷
旧尾形家住宅
 代々村の庄屋を務めていた尾形家の住居で、17世紀末の創建とされる堂々たる上層農家の建物です。“中門造り曲り家”と呼ばれる茅葺き屋根の大型民家で、釘類を一切使用しない“針なし工法"が採用されています。百坪を超える建物の内部には、栗材を用いた周囲が1メートル以上もある大黒柱、耐震に優れた石場建ての柱、もみがら・わら・うすべりなどを敷きこめた土間など建築史上貴重な意匠がほどこされています。昭和44年、国の重要文化財に指定されました。
 現在は、時折室内コンサートなど文化的な催しも行われています。

楢下宿(めがね橋)
 宮城県七ヶ宿から金山峠を越え、上山にぬける羽州街道の宿場町が楢下宿です。昔の街道の面影を伝え、平成7年には建設省の「歴史国道」に指定されました。江戸時代ここを宿場として参勤交代を行った藩は、新庄藩・庄内藤・秋田佐竹藩・津軽藩など奥州の13藩に及び宿場町としての繁栄を偲ばせます。今でもこの地域には「庄内屋」「秋田屋」と昔ながらの屋号で呼ぶ習慣が残っています。
 集落の真ん中を流れる金山川には、明治13年、最先端技術を駆使して石造りの珍しいめがね橋がかけられ、落ち着いた情緒をかもし出しています。
 楢下宿で脇本陣を務めた旧丹野家住宅(滝沢屋)は移築復元され資料館として往時の姿を伝えています。平成7年、県の有形文化財に指定されました。

浄光寺庭園
 東北有数の名園とされるこの庭園は、上山温泉を発見した月秀上人の墓があることでも知られています。庭園は沢庵禅師作と伝えられ、自然の地形を活かした山を背景に、右は京都竜安寺の裏庭、左は桂離宮の庭をそれぞれ模したものと言われています。
 この庭の池には春になると、どこからともなくたくさんのガマガエルがやってきて産卵することから別名“ガマ寺”とも呼ばれています。

栗川稲荷神社
 幾重にも続く赤い鳥居を背をかがめながら通り抜けると、霊験あらたかな栗川稲荷神社が姿を現します。この稲荷は、元禄10年(1697)備中国庭瀬の城主松平信通公が転封で上山へ赴く途中、お稲荷さんのお告げで難を逃れたため奉納されたものと伝えられています。歴代藩主の崇敬も厚く、現在でも縁結び・商売繁盛・金運にご利益があるとして、東北はもちろん、関西方面からも参詣者を集めています。なお、赤い鳥居は信者から奉納されたもので、その数は千を超えます。人々の信仰の厚さが偲ばれます。

武家屋敷
 寛永5年(1628)以降に建てられたとされ、外観は鍵型で玄関上に槍置場があるなど、武家社会の名残を今に伝えています。上山城の城下町として旧街道沿いに数軒建ち並び、坂を下りると旅館が並ぶ一角で、武士と町人が隣り合わせに住んでいた珍しい例です。なお、屋敷には現在もその子孫が生活しています。


Ancient Memories: The Historical and Cultural Legacy of Kaminoyama
 There are various relics that speak of the history of Kaminbyama City , vestiges that have been preserved and made public by people who value history.
 The Harusame-an is a hermitage in which the Zen monk Takuan once lived. The Kaisendo Art Museum features a magnificent collection of Chinese and Japanese craftworks. Other remaining relics, Iike the Naragejuku Inn, which has been designated part of the "Historical Highway, " and the former mansion of the Ogata Family, bear traces of when the city was a post town.

沢庵と紫衣事件
 沢庵は、京都大徳寺の禅僧でしたが、若い時から名利を求めず閑居な生活を求めました。
寛永6年(1629)、後水尾天皇から僧侶として最高の誉れである紫の法衣を賜ったこと(紫衣勅許)から幕府の怒りをかい上山に配流になります。これが紫衣事件です。しかしそこでの生活は、藩主の配慮もあり自適なもので、沢庵自身もこの庵を気に入り次のような歌に詠んでいます。
 
 花にぬる胡蝶の夢とさまよへどふる音もせぬ軒の春雨

 3年の配流中、沢庵の徳を慕って様々な人が庵を訪れました。斎藤茂吉も後にこう歌っています。

 上ノ山に籠居したりし沢庵を大切にせる人しおもほゆ



Takuan and the Purple Robe Incident
 The monk Takuan suffered the anger of the Shogunate for receiving a purple robe from EmperorGomizunoo and was exiled to Kaminoyama. The lord of Karninoyama Castle then built the hermitage Harusame-an for Takuan.
沢庵像



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